気付いた時にはオタクになっており、オタクであることに救われてきた。いい事なのか分からないが、オタクだから生きているし、オタクじゃなかったら死んでいたと言いきれるくらい、私の人生は漫画やゲーム、アニメ、映画に救われている。

 

 

  大学を休学していた時、貯めていたお金で好きなマンガを4000円分一気に買った。

  読むのが楽しみで、ワクワクしながら帰った。

  母に、「何を買ったの?」と聞かれたので「マンガを4000円分買った」と伝えた。

  それを聞いた途端母は激怒し、「マンガを一度に4000円分も買うなんて、お前は頭がおかしい!!」と怒鳴ってきた。

  私の楽しみを否定され、「頭がおかしい」と私自身も否定されショックを受けた。しかし私は親の脛を齧って生きている人間だし、病気で迷惑をかけているので家族内のカーストは最底辺だ。なので反論する勇気も気力も無く、部屋に戻ってひっそり泣いた。

  そしてあの日以来、どうお金を使っても母の怒号が思い浮かぶ。「何を買ったの?」と聞かれても、買ったものを打ち明けることが出来なくなってしまった。好きなものを買った時には特に。

 

  親に「頭がおかしい!」と怒鳴られる日が来るとは思っていなかった。思い出すだけで泣きそうになる。

  お母さん、覚えていないかもしれないけれど、私はあの言葉に未だに囚われているよ。

癖付け

  小さな幸せを見つける癖をつければ、生きることに対して前向きになれるんじゃないかと思った。だから、些細なことに気付ける人間になる努力をした。

  その結果、些細な幸せに気付ける代わりに些細な不幸にも気付いてしまうようになり、面倒なくらい繊細な私は余計生きづらさを感じることになった。

面倒

「生きているだけで偉い。」と母は私によく言う。

 

  きっと彼女なりに慰めてくれているのだろう。けれど、生きていることしか褒める所が無いのだという事実が、余計私の希死念慮を刺激する。

  私は、なんて面倒くさい人間だろうか。

  実はこういうことで傷付いていた、と母の言動についてポツリと洩らした。

  大抵の事はソツなくこなす私に完璧を求めてきた母は、完璧じゃないとすぐ不機嫌になる人だった。

  例えば、テストで学年10位以内に入っても「もっと出来るでしょ」と言ってきたし、熱がある中大会に出てベスト4入りしたが体調が悪化したので棄権したら「棄権するなんて恥ずかしい!!!」と、体調を心配するより先に私が棄権したということを怒る人だった。

 

 

  私が双極性障害を患って以来、母は「お母さんはあんたに完璧なんて求めたことない。生きているだけで充分だよ。」とよく言ってくるようになった。

 

  私が今まで傷付けられたと思っていた出来事は、彼女の中では存在していない出来事になっていた。

 

 

  人は自分が思っているより記憶に変化が起こりやすいらしく、段々と記憶と事実が解離すると、何処かで聞いた。

 

  私には母とは別の事実があるし、そして母にも私と違う事実がある。本当に記憶が改竄されているのは、私の方かもしれないし、どちらの記憶が正しいのか考えると少し怖くなった。